あるファシリテーターの知的財産

現代社会をファシリテーションの車窓より。 法令の通り、当ブログの内容の無断転載(SNS等へのシェアを含みます)を禁じます。詳しいガイドラインは後日、記す予定です。

SNSから人の弱さを愛おしく思ったこと

10年くらい、とあるコミュニティに所属しています。
月の終わりには勉強会が催されます。行ったって行かなくたって、どっちだっていい気楽な会。
集まる人は、仕事も世代もてんでバラバラ。古株さんも新参さんも久々さんもいます。
勉強のあとは宴です。
宴の方がメインなんじゃないかってくらい賑やかにいつも夜は更けていきます。

先日、いつもの宴のあと林田さん(仮名)という方が、SNSにこう書きました。

「今日の宴の席は居心地が悪かった。長年このコミュニティにいるけれどこんなことは初めて。今夜の宴は、顔見知り同士がずっとしゃべっていて、初めて今日ここにきた人はどんな気持ちでいたのか気になった。」

もっと細かく書いていましたが、概ねのあらましです。
私自身はその宴に参加しておらず、どんな空間だったのか想像するのみですが、とにかく林田さんには思うところがあったようです。
ちなみに、発信の投稿範囲は「友達限定」でした。

林田さんの投稿への反応はたくさんあって、賛同する人、共感する人、続きを質す人、反論する人、発言を取り消すよう求める人、あなたの投稿は残念だとコメントする人と様々。どちらかというと賛同や共感は少なく、反論が多いように私には感じられました。

話が逸れますが、こういった発言があったときに私たちは林田さんにどのように関わればいいかという題材は、たいへんに興味深いケーススタディになるかもしれません。
ただ今回はそれさておき。

私がこの件への反応で、おおいに関心を持ったコメントがありました。

「林田さんが感じたことを、宴を企画した担当者に直接伝えればいいじゃないか。どうしてSNSに投稿する必要があるのかわからない。」

極めてもっともな主張です。
なんらかの集まりがあり(つまり今回は宴が催され)、その幹事がいて、謝辞にせよ苦情にせよがあれば、幹事に直接それを伝えるのが筋なんじゃないかという話です。シンプルな構図。うん、わかりやすい。

わかりやすいと感じると同時に、その分だけ実は怖くもなりました。

林田さんが、このコミュニティをよくしたいと願っていることは確かかと思うんです。初めて宴に参加する方の心配をしているわけですし。

だけれど、その願いを体現できるかというと、話がちょっと変わってきます。
林田さんがそのコミュニティをよくしたいと思うから、林田さん自らが口火を切ってコミュニティ改善を働きかける、とは言うは易しですが行うはどうなんでしょうか。

そりゃあ、よきビジョンを描き、資源を集め人を巻き込み、政策なりビジネスを立ち上げ、さらには継続する人って立派です。理想的。絵にもなる。なりたかったり憧れたりもします。
だけど、そのためには物凄く大きな労力がいることは言わずもがな。
もちろん誰かが他人に強制できることではありません。

ちょっとスケールが大きくなりました。元の話に戻します。

幹事に苦情を伝えるって、あなたはどのくらいの抵抗を感じますか?容易くできる方もいるでしょう。勇気を振り絞って試みる方もいるでしょう。言うか言うまいか迷いに迷って、伝えない方もいるでしょう。状況次第で抵抗の感じ方も変わるかもしれません。

抵抗なくできる方も、いつもそうかというとわかりません。その方の職場や家庭の状況は日々移りゆくし、体調や心の余裕にも影響されます。

林田さんは、SNSの「友達」を公開範囲として、心情をつぶやきました。
幹事と、直接対峙するということをしなかったわけです。なんら非難されることではありません。
SNSがなかった時代だと、もしかすると林田さんの心情は胸の内にとどまっていたかもしれないわけです。ちょっとした泣き寝入り。

理想的に振る舞いは暗黙の正義です。そういう振る舞いを他人に期待したくもなります。だけどそうもできないのが人間です。言いたいことを言いたい人に堂々と言えるってカッコイイ。大人。できたらそうありたいと、私自身しょっちゅう思います。

だけどそうもいかんことの方が世の中に多い。ましてやその幹事が、例えば偉い人だったり、若い人だったり、異性だったり、味方が多い人だったりすると、苦情を申し出ることへの抵抗が、さらに増すことだってあります。でも、泣き寝入りしなくてもいい時代なんですよ。「友達限定」で誰かにちょっと自分のことを知ってもらうことができるって、SNS社会の寛容さなんじゃないでしょうか。

投稿につけられた賛成とはいえないコメント一つ一つに、「ありがとうございます。」と、丁寧に返信する林田さんに小さな愛しさを思わず感じた出来事でした。